「武者絵の歌川国芳」と呼ばれた理由

歌川国芳が絵師としての地位を確固たるものとしたのは、「通俗水滸伝豪傑百八人之一人」で描かれた迫力ある豪傑達の絵でした。

それをきっかけとして、歌川国芳はしばしば「武者絵の歌川国芳」と呼ばれることとなります。「武者絵」とは主に伝説に登場する武将を描いた絵のことであり、1804~1830年(文化文政期)に3枚続の武者絵を多く発表した勝川春亭がよく知られています。

歌川国芳はそれをさらに発展させ、武者絵のジャンル確立に一役買いました。

「武者絵の歌川国芳」の代表作である「通俗水滸伝豪傑百八人之一人」は、制作の経緯から言えば「水滸伝」ブームに便乗した作品です。

しかしそのブームのおかげで、歌川国芳の迫力ある描写と、質の高い彫り摺り技術を多くの人々が目にすることとなり、さらに人気に火が付いたと言うこともできます。

歌川国芳の武者絵は、絵全体を効果的に使った迫力のある作品である点が特徴です。

例えば「通俗水滸伝豪傑百八人之一人」で歌川国芳は登場人物を対にして配置し、小説内の複数の場面を独自に組み合わせることで画面を構成しています。

豪傑達の鬼気迫る戦いの場面が、十分に計算された構成のもとでひとつの絵の中に統一感をもって描かれることによって、小説「水滸伝」の豊かなドラマが視覚的に巧みに表現されていることが分かります。

さらに、鮮やかな色が映えるのも重要な特徴です。例えば「通俗水滸伝豪傑百八人之一人」では中国の衣服や豪傑達の身体に彫られた刺青が鮮やかな色で表現されています。

また、1855年(安政元年)に発表された「英雄大倭十二士」(えいゆうやまとじゅうにし)は、謡曲や歌舞伎、浄瑠璃の題材となっている12人の英雄(十二人の士)に十二支の動物を割り当てて描いたシリーズ作品。ダイナミックな構図や豊かな色彩はここでも見られる特徴です。

例えば「英雄大倭十二士 寅 和藤内」は「加藤清正」を題材とした物ですが、上から襲い掛かる虎と画面の左右いっぱいに足を広げた加藤清正の姿は共に力強く、かつ色鮮やかで、画面に緊張感をもたらしています。

日本刀もその迫力と勇壮さを与えるひとつのツールとして効果的に登場しており、その存在感は画面に収まらないほどです。

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